2017年10月17日

【歴史】北条家五代の拠点となった小田原城を散策/天守閣からの相模湾の眺めは最高

少し以前の話になるが、神奈川県小田原市に所在する小田原城を訪れたときのエピソード。

小田原城と言えば、戦国大名の北条家の本拠地として有名で、昨年に放映されたNHKの大河ドラマ「真田丸」でも豊臣秀吉による小田原征伐の様子が描かれていた。北条家の創業者である北条早雲は最初から北条の名前を名乗っていたわけではなく、もともと室町幕府の官僚だったらしい。それが妹が駿河(静岡県)の守護である今川家に嫁いだ関係で今川家の客将となった。その後、戦国大名として独立した早雲は、伊豆と小田原を支配下に置き、関東圏全体にその勢力を拡大していく。

さて、現在の小田原は箱根観光の基点でもあり、私がJR小田原駅に到着した土曜日の午前中には観光客が多かった。駅の改札口の真向かいにある観光案内所で地図を入手してから西南に向かって歩くと、小田原城址公園に到着する。



お城に行く途中に史料館があったので、立ち寄ってみる。館内には、北条早雲による国盗り物語、豊臣秀吉の小田原攻めなどを紹介した展示物などがあり、小田原に関する歴史を学ぶことができる。

IMG_0987.jpegIMG_0989.jpegIMG_0991.jpegIMG_0992.jpegIMG_0994.jpegIMG_0993.jpeg

その後、お城まで移動する。小田原城は、昭和35年に復興されたもので、2016年にリニューアル工事を行ったばかり。ムービーなどを活用した常設展や企画展があり、戦国時代や江戸時代の小田原城が紹介されている。最上階の天守閣からは相模案を一望できる。海を見下ろすことができる城はなかなか珍しい。

IMG_1002.jpegIMG_1006.jpegIMG_1007.jpegIMG_1008.jpegIMG_1009.jpegIMG_1010.jpeg



当日はポカポカ陽気で、とても過ごしやすく、小田原のお城風情を楽しむことができた。

わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34
萩原さちこ

山と渓谷社 2012-10-05
売り上げランキング : 96813

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「人気ブログランキング」参加中です!1クリックお願いします!

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログ 戦うサラリーマンへ
にほんブログ村
posted by Sabosan at 06:32| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月13日

【歴史】Sabosanの北九州漫遊記 その3/黒田官兵衛ゆかりの地 大分県北部の中津市を散策

前回の続き。

門司港を散策した後は、JRで小倉まで戻り、大分県北部の中津に向かう。

1.軍師官兵衛が築城した水城
1586年に豊臣秀吉が九州を支配下に置くために軍勢を率いて侵攻した際、黒田官兵衛はその先鋒を務め、大いに武勲を挙げたという。その論功行賞として、豊前6郡(現在の福岡県と大分県)12万石の領主となる。官兵衛は、その翌年に本拠地となる中津城の築城を開始し、1588年に完成。中津城は、現在の中津川に面しており、川を自然の堀として利用しているのが特徴だ。そのため、香川県の高松城や愛媛県の今治城と並んで「日本三水城」とも称されている。



中津城はJRの中津駅から北西に向かって徒歩15分ぐらいの場所にある。お城に向かう途中に商店街のアーケードを通ったところ、立看板を見かけた。これは官兵衛が2014年のNHK大河ドラマとして取り上げられため、町おこしの影響だろう。その他、中津城の敷地内には「黒田官兵衛資料館」が設置されており、官兵衛の半生を紹介している。とりあえず、おみやげとしてストラップ(キャラ名は中津市公式キャラクターの「くろかんくん」というらしい。←便乗商法?)を購入してみた。

IMG_0941.jpgIMG_0942.jpgIMG_1080.jpg

黒田官兵衛が中津を治めていたのは、13年間(1587年から1600年まで)で、「関ヶ原の戦い」で、息子である黒田長政が武功を挙げたことにより筑前52万国に移封となり、黒田家は福岡に移っている。その後、中津城の城主は、細川家・小笠原家・奥平家と目まぐるしく変わっており、場内の展示物は決して官兵衛一色というわけではない。

IMG_0950.jpgIMG_0957.jpgIMG_0948.jpgIMG_0949.jpgIMG_0952.jpgIMG_0954.jpg

2.智謀の士 黒田官兵衛のエピソード
私は戦国武将の中でも黒田官兵衛はわりと好きな方で、これまでに様々な関連本を読んでいる。官兵衛は、元来播磨(姫路)の小大名である小寺家の家老に過ぎなかったが、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、軍師として徐々に頭角をあらわしていく。有名なエピソードとしては、1578年に信長に反乱を起こした有岡城(現在の兵庫県伊丹市)の荒木村重を説得するべく、単身城に乗り込むが、逆に捕らえられて1年近く城の地下牢に幽閉されてしまう。その影響で髪は抜け落ち、膝が不自由になり、杖が手放せなくなったという。しかし、そのハンデをものともせず、その後も官兵衛は秀吉の参謀として、鳥取城の兵糧攻め・備中高松城の水攻め・中国大返し・九州攻め・小田原攻めなど軍師として大きな実績をあげていく。

一方で、官兵衛は智謀だけではなく処世術も優れている。例えば、官兵衛は、秀吉の最側近として仕え、その天下取りに大きく貢献したように、一時期は秀吉に最も近い人材であったが(徳川家康に対する本多正信のような感じ)、「関ヶ原の戦い」では、黒田官兵衛・長政親子はあっさりと東軍につき、最終的には豊臣家を滅ぼす原因に関与している。その数年後に官兵衛は死去するが、同じ東軍についた豊臣系武将の福島正則や加藤清正は大名として失脚する一方、黒田家は明治維新まで存続している。従って、黒田官兵衛は、一芸に秀でたプロフェッショナルであると同時に、機を見るに敏でかつ徹底したリアリストであった側面がうかがえる。このあたりは戦国乱世を最後まで生き抜いた三国志の賈詡とかなり共通している。

企業法務担当者のビジネスキャリア術: 【書評】「最強の成功哲学書 世界史」神野正史(ダイヤモンド社)/「三国志」の名軍師 賈詡から学ぶ処世術とは

ところで、私は企業法務担当者として仕事をしているが、これは企業にとって「軍師的なポジション(=企業参謀)」に近いと言えないこともない。クライアントからの相談を受けて、法律というツールやヒト・モノ・カネというリソースを使って、その時点における「問題点の最適解」を導き出す。そして、それらを独りよがりの理論ではなく、クライアントにわかりやすいように説明・説得し、企業としてのアクションに導いていく。しかし、いくら頭が良くてもヒューマンスキルが著しく低いと、石田三成のように周囲に敵を作りかねないため、そうはならないように我が身をうまく処していく必要がある・・・。このように考えると、軍師と企業法務担当者は類似点があるような気がする。だからこそ、私は黒田官兵衛に親近感を持っているのだが、このように先人の成功や失敗から学べるのが歴史の面白さだと思う。

黒田官兵衛: 智謀の戦国軍師 (平凡社新書)黒田官兵衛: 智謀の戦国軍師 (平凡社新書)
小和田 哲男

平凡社 2013-11-19
売り上げランキング : 133193

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「人気ブログランキング」参加中です!1クリックお願いします!

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログ 戦うサラリーマンへ
にほんブログ村
posted by Sabosan at 05:49| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月07日

【歴史】Sabosanの北九州漫遊記 その2/レトロ感ただよう港町を散策する

前回の続きを。

小倉から門司港まではJRで二駅ほどの距離。

1.レトロな駅舎
門司港は明治時代に港町として開港され、九州の玄関口として栄えたという。その栄華を今にも伝える当時のレトロな建物がいくつか残存しているため、ノスタルジックな印象を受ける。



なかでも門司港の駅校舎がルネッサンス様式の木造で、重要文化材にも指定されている代物だ。

IMG_0940.jpg

その門司駅の東南に隣接しているのが、九州鉄道博物館。門司駅は、九州地方の鉄道の発祥地で、この場所から九州の鉄道網は広がっていったという。その歴史ある九州鉄道の出発点である門司に作られたのが、この鉄道博物館だ。私は昨年、リニューアルオープンした京都鉄道博物館に家族で訪れたことがある。

企業法務担当者のビジネスキャリア術: 【鉄道】国内最大級の鉄道博物館「京都鉄道博物館」を訪れる/日本の鉄道文化を発信する鉄道ワンダーランド

それと比べるとやや見劣りするが、鉄道ジオラマ・自分で運転できるミニ鉄道・運転ジオラマ・歴史ある鉄道資料の展示物など鉄道ファンならば、十分楽しめると思う。

IMG_0916.jpgIMG_0924.jpgIMG_0922.jpgIMG_0923.jpg

2.展望台から関門海峡を一望
その後、徒歩で10分ほど離れた門司港レトロ展望室に移動して関門海峡を一望する。



高さ103メートルの展望室から関門海峡や眼下の街並みなどを見渡すことができる。私が訪れたのは昼過ぎだったが、夜ならば夜景がさぞかしきれいだったろう。ちなみに、江戸時代の初めに宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したという巌流島もここから見下ろすことができる。

IMG_0938.jpgIMG_0928.jpgIMG_0929.jpgIMG_0931.jpg

その後、再びJRに乗車して福岡県から大分県北部に向かう。次の目的地は戦国時代の名軍師として名高い黒田官兵衛が築城した中津城。

続きは次回に。

「門司港」繁栄と栄光の軌跡―夢を追った人・街・港「門司港」繁栄と栄光の軌跡―夢を追った人・街・港
羽原 清雅

書肆侃侃房 2011-01-14
売り上げランキング : 447445

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「人気ブログランキング」参加中です!1クリックお願いします!

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログ 戦うサラリーマンへ
にほんブログ村
posted by Sabosan at 06:22| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

【歴史】Sabosanの北九州漫遊記 その1/小倉市の小倉城と松本清張記念館に足を運ぶ

先日、休日を利用して北九州を観光したので、その模様を紹介したい。

1.徳川幕府の九州支配拠点となった小倉城
小倉(こくら)は、福岡県の北九州市にある九州と本州の接点となる都市で、新幹線の停車駅でもある。いわば北九州の玄関口で、小倉城・八坂神社・漫画ミュージアム・旦過市場・遊園地など様々な観光名所が立ち並んでいる。同じ福岡県の博多ほどメジャーではないが、バラエティ豊かなスポットが数多く立ち並び、一日は十分遊ぶことができる。

私の場合、まず足を運んだのは、駅の西南にある小倉城。



小倉城は、戦国大名である細川忠興が「関ヶ原の戦い」の勲功として、北九州に領地が与えられてから1602年に本格的に築城したお城だ。その後、細川家が熊本に国替えとなってからは、徳川家の譜代大名である小笠原忠真が入藩している。九州には島津家・黒田家・龍造寺家など数多くの外様大名が存在するが、その目的はそれらの監視と統制だったらしい。

さて、小倉城は5階建で、各階は歴史・企画などの展示ゾーンに分けられている。最上階の天守閣からは小倉市街を見渡すことができ、その眺望を楽しむことができる。

IMG_0897.jpgIMG_0899.jpgIMG_0901.jpgIMG_0909.jpgIMG_0910.jpg

2.社会派文豪の足跡を伝える松本清張記念館
さて、お城の中で1時間ほど過ごしてから、近隣の松本清張記念館に足を運ぶ。社会派推理小説の権威でもある松本清張は北九州出身との事で、その経歴や作品群を紹介した施設となっている。こちらは写真撮影がNGのため、内部の様子はお伝えできないが、作品のデータベースや自宅の書斎を再現したモデルルームなど設置されており、なかなかバラエティに富んでいる。

IMG_0912.jpg

私が松本清張を知ったのは、2004年に放送されたドラマ「黒革の手帳」を観賞してから、原作に興味を持ったのがきっかけだ。(現在、別キャストでもドラマ「黒革の手帳」を放映しているが、こちらは観ていない)ほかにも「砂の器」など図書館で何冊か借りて読んだことがある。

小倉市で回ったのはこの二箇所のスポットで、その後JRで関門海峡に面する門司港まで足を運んだが、その様子は次回に。

或る「小倉日記」伝 (新潮文庫―傑作短編集)或る「小倉日記」伝 (新潮文庫―傑作短編集)
松本 清張

新潮社 1965-06-30
売り上げランキング : 37496

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「人気ブログランキング」参加中です!1クリックお願いします!

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログ 戦うサラリーマンへ
にほんブログ村
posted by Sabosan at 19:26| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

【歴史】Sabosanの唐津漫遊記 その2(名護屋城編)/天下人 豊臣秀吉が生前に最後に築いた巨城

前回の続きを。

1.名護屋城博物館
唐津市内にあるバスセンターからバスを乗り継いで40分ほどで、玄界灘に面した波戸岬に到着する。そして、バス停から降りて少し歩くと、佐賀県立名護屋城博物館に到着。



この博物館では、文禄・慶長の役を含む日本と朝鮮との歴史について展示紹介されている。私が少し驚いたのが無料で入館できるということ。比較的新しい博物館だし、入館料は1000円ぐらいかな、と思っていたので、予想外の太っ腹に驚いた。館内は2階部分が展示スペースとなっており、当時の面影を伝える様々な歴史遺物が展示されていた。



IMG_0838.jpgIMG_0839.jpgIMG_0843.jpg

2.戦国時代の名将たちが一同に集結
博物館を1時間ほどで見終わって、北側の名護屋城跡を散策する。名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の国内拠点として築城したもので、当時の広さは17万平方mにも及び、大阪城に次ぐ広さを誇ったという。その周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったとされている。名護屋城の石垣の一部は当時の状態で保存されており、国から特別史跡に指定されるなど大変貴重な遺産だ。



うっそうとした木々を抜けると、本丸に到着する。そこから一気に視界が開き、玄界灘が眼下に広がる。現在は民家や学校などが立ち並んでいるが、当時は、この辺りに徳川家康・伊達政宗・前田利家・上杉景勝・真田昌幸・藤堂高虎・島津義弘・黒田長政など当時を代表する武将たちの陣屋が集結していたわけで、歴史ファンにはなんともたまらない場所だ(もっとも、慶長の役の終結後に発生した「関ヶ原の戦い」では、これらの武将は敵味方に分かれて戦うわけだが・・・・)。

IMG_0853.jpgIMG_0854.jpgIMG_0858.jpgIMG_0865.jpgIMG_0866.jpgIMG_0863.jpgIMG_0864.jpg

ただし、歴史を客観的に検証すれば、文禄・慶長の役は、日本が何の非もない朝鮮に対して行った侵略戦争に他ならない。豊臣秀吉は「草履取りから天下人へ」とプラスのイメージで語られることが多い。確かに知恵と度胸で権力者への道を駆け上がり、国内統一によって戦国時代を終結させた手腕は一つの立志伝だと思う(コーエーが過去に「太閤立志伝」というゲームを発売したぐらいだ)。しかし、そうやって獲得した権力を人民のために行使するのではなく、大義名分のない侵略戦争によって日本と朝鮮に多大な人的・物的損失を与えたのは事実である。これでは「名為政者」というより、「老害」と言わざるをえない。なぜならば、権力とは、どうやって獲得したのではなく、どのように行使したかによって後世の人々に評価されるからだ。従って、私自身は後半生の豊臣秀吉はあまり好きではない(その他にも秀吉は実子かわいさのあまり、一度は後継者に指名した養子とその一族を皆殺しにしている)。

ある意味、この名護屋城跡は、「天下人の愚行」を後世に伝える負の遺産と言えるかもしれない。そのようなことを考えつつ、大阪への帰途についた私であった。

KOEI The Best 太閤立志伝VKOEI The Best 太閤立志伝V

コーエー 2006-01-19
売り上げランキング : 4072

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「人気ブログランキング」参加中です!1クリックお願いします!

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログ 戦うサラリーマンへ
にほんブログ村
posted by Sabosan at 08:12| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

【歴史】Sabosanの唐津漫遊記 その1(唐津城編)/城・焼物・祭りの町 佐賀県唐津市

先日、休日を利用して佐賀県の唐津城と名護屋城跡を巡ってきたので、その時の様子を紹介したい。

まず福岡県の博多駅から地下鉄とJR筑肥線を乗り継いで西に向かうと、一時間ほどで唐津に到着する。途中には日本三大松原の一つである「虹の松原」があるが、時間の関係でこちらには立ち寄らず。唐津駅で降りて15分ほど歩くとやがて唐津城が視界に飛び込んでくる。唐津城は今年の7月にリニューアルオープンしたばかりで、中は真新しい。ちょうど良いタイミングで訪れることができたかも。



唐津城は、ちょうど半島の先端に築城された城で、その優美な姿から別名「舞鶴城」とも称されている。1階は観光案内・体験フロア、2階が唐津の歴史フロア、3階が唐津焼フロア、4階が交流・休憩フロア、5階が展望フロアとなっている。特に、展望台からは玄界灘(北)、虹の松原(東)などの絶景のパノラマビューを鑑賞できる。



IMG_0821.jpgIMG_0822.jpgIMG_0834.jpgIMG_0825.jpgIMG_0830.jpgIMG_0831.jpg

私が唐津に滞在したのは、ほんの2時間ほどだが、静かな城下町の風情を楽しむことができた。個人的な感想だが、昨年のGWに家族旅行した際に訪れた香川県の丸亀に雰囲気が似ているような気がする。

企業法務担当者のビジネスキャリア術: 【行楽】Sabosanの戦国史跡漫遊記2016 丸亀城(香川県)/曲線美の石垣と眺望の素晴らしさ

その後、唐津駅まで戻り、バスでさらに西へ向かう。目的地は、かつて豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)した際に国内拠点として築城された肥前名護屋城跡。当時は、徳川家康・伊達政宗・前田利家・上杉景勝・真田昌幸など超一流の武将たちが一同に会し、陣屋をはっていたという・・・。

続きは次回にて。

ことりっぷ 有田・唐津 伊万里・武雄・嬉野 (旅行ガイド)ことりっぷ 有田・唐津 伊万里・武雄・嬉野 (旅行ガイド)
昭文社 旅行ガイドブック 編集部

昭文社 2016-10-14
売り上げランキング : 53361

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「人気ブログランキング」参加中です!1クリックお願いします!

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログ 戦うサラリーマンへ
にほんブログ村
posted by Sabosan at 07:51| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

【歴史】Sabosanの戦国漫遊記(岩国編)その2/岩国城のふもとにある吉川史料館で貴重な歴史史料が公開中

前回の続きを。

戦国史に明るい人ならば、戦国武将の吉川元春についてご存知だろう。中国の土豪から中国地方の覇者まで登り詰めた名将 毛利元就の次男で、吉川家の養子となった人物である。毛利元就と三人の息子の逸話である「三本の矢」でも有名だ。



「関が原の戦い」では、元春の三男である広家は、主家である毛利家が徳川家の味方をするように誘導したが、徳川家康の「毛利家の領土をそのまま保証する」という約束を反故にされてしまう。その結果、毛利家は120万石から30万石(現在の山口県)まで領地を縮小されてしまう。吉川家もそれまでの出雲12万石から岩国3万国に減封される羽目となる。そうして、吉川家の血筋は明治維新まで続くことになる・・・。岩国市にある吉川史料館には、この吉川家に伝わる膨大な歴史資料・工芸品など約7000点が収蔵されている。



この史料館では、年4回の展示替えを行っており、私が訪れた時期には、ちょうどタイミング良く「吉川広家の関ケ原合戦展」を開催していた。おかげで、「関が原の戦い」の舞台裏が示された貴重な史料を目の当たりにすることができた。例えば、吉川広家が戦いの前夜に徳川家康や黒田官兵衛・長政とやりとりした手紙や豊臣秀吉から拝領した短刀、千利休から送られた茶道具など・・・。特に関が原前後における書状のやりとりは、残されていること自体が驚くべきもので、歴史マニアにはたまらないアイテムだろう。(ちなみに、館内の写真撮影はOKとの事)

IMG_0759.jpgIMG_0760.jpgIMG_0761.jpgIMG_0763.jpgIMG_0774.jpgIMG_0767.jpgIMG_0768.jpgIMG_0769.jpgIMG_0770.jpgIMG_0771.jpgIMG_0777.jpgIMG_0772.jpg

なお、この時期は展示はされていなかったが、毛利家の宿敵である尼子家の忠臣 山中鹿之助を討った際に本人が所有していた兜を吉川元春が大事に保管しており、こちらも展示史料のうちの一つだという。これも歴史的には大変貴重な代物だ。山中鹿之助といえば、「我に七難八苦を与えよ」で有名な武将。



正直なところ、この史料館にはそれほど期待していなかったが、これほどの遺物を目の当たりにできるとは予想外で、大変貴重な経験をさせてもらった。

吉川元春―毛利を支えた勇将 (PHP文庫)吉川元春―毛利を支えた勇将 (PHP文庫)
浜野 卓也

PHP研究所 1997-08
売り上げランキング : 461057

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「人気ブログランキング」参加中です!1クリックお願いします!

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログ 戦うサラリーマンへ
にほんブログ村
posted by Sabosan at 05:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする